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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)4644号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  主位的請求の趣旨

1  被告は原告に対し、昭和六一年四月一一日から別紙物件目録記載の建物明渡済みまで、一か月金四二万円の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  予備的請求の趣旨

1  被告は原告に対し、昭和六三年一二月七日から別紙物件目録記載の建物明渡済みまで、一か月金四二万円の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

三  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の主位的及び予備的請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

(主位的請求について)

一  請求の原因

1 原告は、昭和五四年四月一一日、被告に対し、本件建物を次の約定で賃貸した(以下この賃貸借を「本件賃貸借」という。)。

(一) 賃料    一年間は月額一八万七五〇〇円、その後は月額二一万円、毎月二六日限り翌月分前払

(二) 敷金    二〇〇万円

(三) 期間    昭和五四年四月一一日から昭和五七年四月一〇日までの三年間

(四) 礼金    二〇〇万円

(五) 特約    次の場合には、原告は被告に対し、何らの通知催告を要しないで本件賃貸借を解除することができ、被告が賃貸借終了後本件建物の明渡しをしないときは、以後明渡済みまで賃料の倍額の損害金を支払う。

(イ) 被告が賃料の支払を怠ったとき

(ロ) 被告が控訴人の承諾を得ないで本件建物を転貸したとき

(ハ) 被告が控訴人の書面による承諾を得ないで造作、模様替えを行ったとき

2 被告は次のような債務不履行又は賃貸人と賃借人間の信頼関係を破壊する行為を行ったので、原告は被告に対し、昭和五五年一月二六日到達の書面により本件賃貸借を解除する旨の意思表示をした。

(一) 被告は、昭和五四年六月分より本件建物の賃料の支払を怠っている。被告の右行為は、前記1の(五)の(イ)に該当する。

(二) 被告は、原告の承諾を得ないで、本件建物を訴外有限会社アキヨシ(以下「訴外会社」という。)に転貸し使用させた。被告の右行為は、前記1の(五)の(ロ)に該当する。

(三) 被告は、本件建物に排気ダクトを設置するについて、当初、その吹出口を本件建物の外装壁面と直角に道路側に向けて設置することで原告の承諾を求めたので、原告はこれを承諾したところ、被告は、原告に無断で吹出口を九〇度移動させ本件建物の外装壁面と並行に設置した。その結果、本件建物の外壁面が極度に汚れ、二階陸屋根部分及びパラぺット部分が著しく損傷し、雨漏りの原因となった。これは、前記1の(五)の(ハ)に該当する。

(四) 被告は、本件建物の水道新設工事をするに際し、原告に無断で、本件建物及びその敷地の所有者を町田愛子として、昭和五四年五月一五日付けで東京都水道局長に対し、水道新設工事の申込及び工事施工承認申請をした。被告の右行為は、前記1の(五)の(ハ)に該当するとともに賃貸人と賃借人間の信頼関係を破壊するものである。

(五) 被告は、原告に対し、昭和五四年一〇月二九日東京地方裁判所に、本件賃貸借の際に原告が被控訴人から受領した礼金二〇〇万円を寄託金であると主張してその返還を求める訴訟及び工事代金の返還を求める訴訟(同庁昭和五四年(ワ)第一〇七四二号損害賠償請求事件)を提起した。右事件中寄託金返還請求事件については、昭和五八年二月八日、請求認容の判決があったが、原告は右判決に対し東京高等裁判所に控訴したところ(同庁昭和五八年(ネ)第一〇六八号事件)、同年一一月一八日、原判決を取り消し、被告の請求を棄却する旨の判決があり、同判決は、昭和五九年一月三〇日、上告却下の決定により確定し、また、工事代金返還請求事件については、被告は、第一審において訴えを取り下げたが、原告がこれに同意しなかったため請求を放棄した。被告の右各訴訟は不当訴訟であって、賃貸人と賃借人間の信頼関係を破壊するものである。

(六) 被告は、原告に対し、原告が本件建物の外壁に足場を組み二か月以上放置して被告の営業を妨害したと主張して、昭和五四年八月六日、東京地方裁判所に、右外部足場撤去の仮処分を申請した(同庁昭和五四年(ヨ)第五六三九号)。しかし、右足場は本件建物の所有者である原告が本件建物の外壁の補修及び改装のため設置したものであって、その設置について何ら制限を受けるものではないから(なお、北海道拓殖銀行側の足場の撤去が遅れたのは、被告が依頼した若林水道工業所の水道掘削工事の遅延等によるものであって、原告が足場を撤去することができなかった原因は被告側にもあるものである。)、被告の右仮処分申請は不当提訴であり、賃貸人と賃借人間の信頼関係を破壊するものである。

(七) 原告は被告を被告として東京地方裁判所に右(五)、(六)の不当訴訟により被った損害の賠償を求める訴訟を提起した(同庁昭和五九年(ワ)第一八一七号事件)ところ、被告は、前記訴訟は不法行為に当たらず原告の損害は因果関係がないと主張してこれを争っていたが、同裁判所は、昭和六〇年一月三一日、被告の原告に対する寄託金返還請求訴訟、工事代金返還請求訴訟及び外部足場撤去の仮処分申請等の行為は不法行為に当たるとして、これにより原告が被った損害の賠償を命ずる判決を言い渡し、被告は控訴したがこれを棄却され、上告期間経過とともに右判決は確定した。前記(五)、(六)の不当訴訟及び右原告の損害賠償請求訴訟に対する不当な抗争というこれら被告の控訴人に対する一連の不法行為は、賃貸人と賃借人間の信頼関係を極度に破壊するものである。

3 被告は、右解除の意思表示後現在まで、本件建物を占有している。

4 よって、原告は被告に対し、本件賃貸借終了後の昭和六一年四月一一日から本件建物明渡済みまで、賃料倍額相当の一か月当たり金四二万円の割合による約定の使用損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1 1の事実は、(四)を除き認める。

2 2の冒頭の事実中、原告が被告に対しその主張の書面で本件賃貸借を解除する旨の意思表示をしたことは認めるが、その効果は争う。

(一) (一)の事実は否認する。

(二) (二)の事実中、被告が本件建物を訴外会社に転貸し使用させたことは認めるが、その余は否認する。

(三) (三)の事実中、被告が排気ダクトの吹出口の方向を変えたこと及びこれにつき原告の承諾を得なかったことは認めるが、その余は否認する。

(四) (四)の事実中、被告が本件建物の水道工事の申請を訴外会社の代表者である妻の町井愛子名義でするよう業者に依頼したことは認めるが、その余は否認する。

(五) (五)の事実中、被告が原告に対しその主張のような訴訟を提起し、主張のような判決のあったことは認めるが、その余は争う。

原告は被告から外壁工事等の費用として二〇〇万円を受領しながら何ら工事等をしないので、被告はその返還を求めて右訴訟を提起したものであって、被告には何ら信頼関係を破壊するような事由はない。

(六) (六)の事実中、被告が控訴人主張の仮処分申請をしたことは認めるが、その余は争う。

被告は、原告が本件建物の外壁に足場を組み二か月以上も放置して被告の営業を妨害したので、やむをえずその除去を求めて右申請をしたものであって、このことは、何ら信頼関係を破壊する事由にはならない。

なお、足場撤去の遅延については、被告側に何らの原因も存在しない。

(七) 被告が原告に対して提起した(五)記載の訴訟が不当訴訟、不法行為であるとして原告が被告に対し損害賠償請求訴訟を提起し、その判決が原告主張の期日に言い渡され確定したことは認める。ただし、右訴訟は(五)記載の訴訟の第一審判決に付された仮執行宣言に基づく強制執行を停止するため原告が保証として供託した金員に対する金利相当額の賠償を求めたものであり、高等裁判所判決は、民事訴訟法一九八条二項の規定(無過失損害賠償責任)により被告に賠償を命じたものである。

なお、原告が(五)、(六)の訴訟提起及び仮処分申請を不当訴訟、不法行為であるとして被告に対し損害賠償を求めた訴訟においては、右各行為はいずれも不法行為とは認められず原告の請求は棄却されている(千葉地方裁判所松戸支部昭和五八年(ワ)第一〇九号事件、東京高等裁判所昭和六〇年(ネ)第二二一号事件)。

3 3の事実は認める。

三  抗弁

1 賃料の支払について

被告は、賃貸借契約締結以来賃料をすべて支払っている。なお、昭和五五年二月分以降は、原告が受領を拒否したので、弁済供託しているが、それ以前の分は、直接授受したもの以外は「有限会社アキヨシ町井昭八郎」名義で原告の銀行預金口座に送金している。

仮に訴外会社が右賃料の支払をしたものであったとしても、訴外会社は後記のように適法な転借人であるから、その支払により賃料債務は消滅している。

2 本件建物の転貸について

被告は、原告の承諾を得て本件建物を訴外会社に転貸したものである。

3 排気ダクトの吹出口の変更について

被告は、昭和五四年一二月、排気ダクト吹出口の方向を数十度回転変更した。それは、従前右吹出口からの温風が道路をへだてた北海道拓殖銀行の建物に直接吹きつけたため、その反響音について付近の住民から苦情が出て、文京区役所公害課から「右建物に直接温風が吹きつけないよう吹出口の方向、角度を変更するように」との指導を受けたためである。したがって、右変更は、やむをえない事情によるものであり、かつ、性質上緊急を要するものであった。なお、昭和五四年五月九日原告、被告間で、排気ダクト等について近隣よりクレームがあったときは訴外杉田勝彦の責任で一切を処理する旨合意されており、被告は、右合意に基づいて、右杉田に区役所との交渉にあたらせ、かつ右変更工事を施工させたものである。

被告が、原告の承諾を得なかったのは、右に延べた事情とともに、変更の程度が軽微であることと、当時既に原告と係争中であり、原告の態度からとうてい円満な話合いにより了解を得ることは不可能であると判断したことによるものである。また、右変更により本件建物に原告主張のような特段の被害は生じていない。なお、排気ダクトからの温風により本件建物外壁側面がある程度汚れるであろうことは、契約当初から当然予想されたことであり、そのため、原告と被告とは、昭和五四年五月九日、外壁が汚れた場合被告の負担と責任において外壁側面全部の吹付塗装を行う旨合意していた。そして、右合意に基づき、昭和五七年三月末、本件建物外壁全部に対し吹付塗装を施したものである。

以上の諸事情から、本件排気ダクト吹出口の方向変更には、賃貸人と賃借人との信頼関係を破壊するとはいえない特段の事情がある。

四  抗弁に対する認否

抗弁1ないし3の事実は否認する。

(予備的請求について)

一  請求の原因

1 本件賃貸借契約においては、契約更新の場合、更新料として、新賃料の二か月分を支払う旨、被告がその支払を怠ったときは、原告は、何らの通知催告を要しないで本件賃貸借契約を解除することができる旨、及び被告が賃貸借終了後本件建物の明渡しをしないときは、以後明渡済みまで賃料の倍額の損害金を支払う旨の特約があった。

2 被告は、昭和五七年四月一〇日の期間満了後の契約更新に際し、新賃料二か月分の更新料を支払わなかった。

3 被告は、主位的請求原因で原告が主張している昭和五五年一月二六日の本件賃貸借契約解除の意思表示以降においても、賃料の支払を怠っている。

4 そこで、原告は被告に対し、昭和六三年一二月七日の本件第一四回口頭弁論期日に被告に交付した準備書面により、右2、3の債務不履行を理由として、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

5 右解除の意思表示当時の本件建物の賃料は、一か月当たり金二一万円であった。

6 被告は、右解除の意思表示後現在まで、本件建物を占有している。

7 よって、原告は被告に対し、右解除の日の翌日から本件建物明渡済みまで、一か月当たり金四二万円の割合による約定の使用損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1 1のうち、更新料支払約束の点は否認し、その余の事実は認める。

2 2及び3の事実は否認する。

3 4ないし6の事実は認める。

三  抗弁

1 被告に更新料の支払義務があるとしても、原告は昭和五五年二月分以降の賃料の受領を拒否し、円満な更新の話合いができない状況にあったため、被告は、更新時期に当たる昭和五七年四月に、従前賃料の二か月分金四二万円を弁済供託した。なお、その後も、三年毎の更新があるものとして、昭和六〇年四月、昭和六三年四月に、金四二万円ずつを弁済供託している。

2 賃料についても、昭和五五年二月分以降、原告がその受領を拒否したため、昭和五五年一月二九日に二月分として金一八万七五〇〇円、同年二月二五日に三月分として金一八万七五〇〇円、同年三月二五日に四月分として金二一万円を弁済供託し、その後も、毎月金二一万円ずつを弁済供託している。

四  抗弁に対する認否

抗弁1、2の事実中、被告がその主張どおり弁済供託をしたことは認め、その効果は争う。

五  再抗弁

被告がした弁済供託は、原告を債権者とし、被告を債務者とし、国(東京法務局供託官)を第三債務者とする供託金取戻請求権に対する数次の債権差押及び転付命令により、その大部分が取り戻され、弁済の効力を失っている。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実中、原告がその主張するような債権差押及び転付命令により、被告の本件供託金の一部を取り戻したことは認めるが、その効果は争う。

七  再々抗弁(権利濫用)

1 原告は、本件主位的請求原因とほぼ同じく昭和五五年一月二六日の本件建物賃貸借契約解除を理由として、被告に対する本件建物の明渡請求訴訟(一審・東京地方裁判所昭和五五年(ワ)第一一一六六号、二審・東京高等裁判所昭和五七年(ネ)第二二四六号、三審・同庁昭和六二年(ネオ)第六八七号、昭和六三年六月一五日判決確定)、及び訴外会社に対する本件建物の明渡請求訴訟(一審・千葉地方裁判所松戸支部昭和五五年(ワ)第一〇一号、二審・東京高等裁判所昭和五六年(ネ)第二七四六号、三審・同庁昭和五七年(ネオ)第三七九号、昭和五八年四月五日判決確定)を提起していたが、いずれの訴訟においても、原告の右契約解除の主張は認められず、原告敗訴の判決が確定している。

2 他方、本件賃貸借契約については、東京法務局所属公証人岸川敬喜作成の昭和五四年第一五八一号建物賃貸借公正証書(以下「本件公正証書」という。)が作成されているところ、原告は、前記昭和五五年一月二六日の解除の意思表示を理由に同公証人から執行文の付与を受け、これを債務名義として、契約解除後の賃料倍額相当の約定使用損害金を請求債権として、被告に対し動産、不動産、給与債権等の強制執行に及んだ。

3 そこで、被告は原告に対し、執行文付与に対する異議の訴(一審・千葉地方裁判所松戸支部昭和五五年(ワ)第一四〇号、二審・東京高等裁判所昭和五八年(ネ)第一〇〇一号昭和六〇年一〇月二八日判決言渡、三審・最高裁判所第二小法廷昭和六一年(オ)第八三八号、平成元年三月二四日上告棄却)及び請求異議の訴(一審・千葉地方裁判所松戸支部昭和五七年(ワ)第二四三号、二審・東京高等裁判所昭和六二年(ネ)第一〇二八号昭和六三年八月三一日判決言渡、三審・最高裁判所第一小法廷平成元年(オ)第九二号、平成元年四月二七日上告棄却)を提起するとともに、強制執行停止決定を得、一審又は二審の終局判決でその全部又は一部の認可判決を得た。

右執行文付与に対する異議の訴の二審判決は、賃料不払いは請求異議訴訟において判断されるものとし、それ以外の本件原告主張の理由による契約解除を認めず、その理由による本件公正証書に基づく強制執行を許さずと判断し、また右請求異議の訴の二審判決は、賃料不払いを理由とする契約解除を認めず、その理由による本件公正証書に基づく強制執行を許さずと判断し、いずれも、本件原告からの上告が棄却されて確定したものである。

4 しかるに、原告は、右の本件公正証書に基づく強制執行の停止決定、もしくは前記各訴訟の判決の存在を熟知しながら、あえてこれを無視し、再三、再四本件建物賃料、更新料の取戻し請求権に対する債権差押、転付命令を申し立て、裁判所をして同命令を発布せしめたものである。

しかし、これらの債権差押及び転付命令の申立及び命令は、前記強制執行の停止決定ないし本案判決におけるその認可の裁判を無視し、又は看過した違法なものであり、現にその一部は被告の執行抗告により取り消され、原告において申立を取り下げたものもあるが、一部については、債権差押命令送達後一週間以内に当該命令が第三債務者に送達されなかったため、その間隙をぬって原告において「差押命令送達後一週間を経過した」として違法に差押債権を取立て、その執行を了してしまったものである。

5 したがって、被告の本件建物賃料、更新料名目の弁済供託金は、本来、現在も存在すべきものであって、その不存在は被告の責任ではない。のみならず、原告が、本件賃貸借契約の昭和五五年一月二六日の解除の意思表示による終了が認められないこと、及び本件公正証書を債務名義とする強制執行は許されないことを知りながら、本件賃貸借契約終了後の賃料倍額使用損害金等の名目で、本件公正証書等を債務名義として、被告の前記弁済供託金を違法不当な強制執行により取立て取得しながら、その供託金の不存在をもって賃料、更新料の不払いであるとし、それを理由に新たに本件賃貸借契約を解除するのは、権利の濫用であり、許されるべきではない。

八  再々抗弁に対する認否

1 1の事実中、被告主張の事件が係属したことは認めるが、その余は争う。

2 2の事実は認める。

3 3の事実中、被告主張の事件が係属したことは認めるが、その余は争う。

4 4の事実中、原告が本件建物賃料、更新料の供託金取戻し請求権に対する債権差押、転付命令を申し立て、その発布を得たことは認めるが、その余は否認する。

5 5の事実は否認する。原告の得た本件供託金に対する債権差押、転付命令は、本件公正証書に基づくものばかりではなく、被告に対する別件の勝訴判決、訴訟費用額確定決定に基づくものがある。

第三  証拠関係(省略)

理由

第一  主位的請求について

一  請求原因1のうち(四)の礼金に関する点を除く事実及び3の事実は、当事者間に争いがない。

二  本件賃貸借契約解除について

原告が被告に対し、昭和五五年一月二六日到達の書面により本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

そこで、以下原告の主張する解除原因について判断する。

ところで、乙第一、第三(第三五)、第七、第三四、第五〇、第六五、第六六号証(いずれも、弁論の全趣旨によりその存在が認められ、その方式及び趣旨により公文書としての成立が認められる。)並びに弁論の全趣旨によれば、原告は本訴主位的請求原因とほぼ同じく昭和五五年一月二六日の本件建物賃貸借契約解除を理由として、被告に対し本件建物の明渡訴訟を(賃貸借終了に基づく。一審・東京地方裁判所昭和五五年(ワ)第一一一六六号、二審・東京高等裁判所昭和五七年(ネ)第二二四六号、三審・同庁昭和六二年(ネオ)第六八七号、昭和六三年六月一五日確定)、訴外会社に対し本件建物の明渡訴訟(本件建物の所有権に基づく。一審・千葉地方裁判所松戸支部昭和五五年(ワ)第一〇一号、二審・東京高等裁判所昭和五六年(ネ)第二七四六号、三審・同庁昭和五七年(ネオ)第三七九号、昭和五八年四月五日確定)を提起していたが、いずれの訴訟においても、原告が本件主位的請求原因で主張する契約解除の事由が認められないとして、原告の契約終了又は所有権に基づく本件建物の明渡請求を棄却する判決が確定していることが認められる。当裁判所の以下の判断も、右各事件の第二審判決(乙第七、第三、第三五号証)の判断と同旨である。

1  賃料不払

前掲乙第三(第三五)、第七号証のほか、乙第一二、一三号証(原本の存在及びその成立に争いがない。)、乙第二二ないし第三〇、第四八号証(官署作成部分の成立は争いがなく、弁論の全趣旨によりその存在とその余の成立が認められる。)、乙第五六、第五七号証(原本の存在及びその成立に争いがない。)、乙第五八、第五九、第六一号証(弁論の全趣旨によりその存在が認められ、その方式及び趣旨により公文書としての成立が認められる。)、乙第一四号証の一、二、第一五ないし第二〇号証、第二一号証の一、二(弁論の全趣旨により原本の存在が認められ、前掲乙第五八号証によりその成立が認められる。)及び甲第二三号証(成立に争いがない。)によれば、被告は原告に対し、本件建物の賃料として、昭和五四年四、五月分は被告本人名で支払い、同年六、七月分は訴外会社名義の預金口座からの振替により、同年八月分から昭和五五年一月分までは「有限会社アキヨシ町井昭八郎」の名義で原告の富士銀行青山支店の普通預金口座に振り込む方法で支払い、原告はこれを受領してきたこと、ところが原告は同年二月分以降の賃料の受領を拒否するため右口座を解約したので、被告は以後の賃料を本人名義で弁済供託していることが認められる。次の無断転貸の項で判断するとおり、訴外会社の本件建物の使用は原告に対する関係で許容されることからしても、原告が訴外会社名義による賃料の支払を拒む理由はない。したがって、原告の前記解除の意思表示の時点において、被告に賃料の不払はない。

2  無断転貸

被告が本件建物を訴外会社に転貸し使用させたことは、当事者間に争いがない。

前掲乙第三(第三五)、第七、第五八、第五九号証、甲第二三号証、原本の存在及びその成立に争いがない乙第四(第四三)、第三三号証、及び成立に争いがない甲第三三号証によれば、訴外会社は、被告の妻愛子を代表取締役とし、被告及び訴外大沢良三(本件賃貸借における賃借人の保証人)を取締役として昭和五一年二月に設立された中華料理店の経営を目的とする会社で、被告夫婦が株式の大半を保有し、実質的には被告が経営の実権を持つ個人会社であること、被告は本件賃貸借契約締結に当たり、訴外会社の中華料理店営業のために賃借するものである旨を明らかにしたのに対し、原告は、訴外会社による営業には異議を述べなかったが、過去の経験から、賃貸借契約は個人名義ですることを要求したことから、被告個人名義で本件賃貸借契約が締結され、被告は訴外会社名義で営業許可を受けて、爾来本件建物で中華料理店を営んでいること、以上の事実が認められる。前掲乙第五六号証中、右認定に反する部分は採用しない。右事実によれば、原告は、契約当初から被告の経営する訴外会社が本件建物を使用することを知り、これを承諾していたものと認めるべきであるから、被告には、本件賃貸借契約の特約違反の事実はない。

3  排気ダクトの吹出口の変更

被告が本件建物に設置した排気ダクトにつき、原告に無断でその吹出口の方向を変えたことは、当事者間に争いがない。

前掲乙第四(第四三)、第七、第五六、第五八、第五九号証、甲第二三号証のほか、乙第四一号証(前掲乙第五七、第五八号証により原本の存在及びその成立が認められる。)、乙第三一、三二号証(本件建物の写真であることに争いがなく、弁論の全趣旨により原本の存在と昭和五四年八月ころ及び昭和五六年二月ころの写真であることが認められる。)及び乙第五五号証(前掲乙第五八号証により、昭和五七年四月ころの本件建物の写真であることが認められる。)によれば、本件ダクトは、本件建物の壁面に沿って垂直に立ち上がり、上端の吹出口が壁面に直角に外を向くように取り付けられていたところ、排気音が、道路向かい側の北海道拓殖銀行の建物に反響して騒音となり、近隣の住民から文京区役所公害課に苦情が寄せられたため、被告は昭和五四年一二月ころ、同課の指導により吹出口の方向を壁面と平行に近い向きに変えることを余儀なくされたこと、右工事を行うについては、被告は先に同年五月九日ころ原告との間で交わした確認書により、排気ダクトに関して近隣からクレームがついたときは、内装工事業者杉田勝彦が一切を処理するものとする旨の合意をしていたので、この合意に基づき杉田をして区役所との交渉に当たらせた上、同人に工事をさせたこと、なお、被告の営業の性質上、本件ダクトからの排気による建物外壁の汚れは当初から予想されていたので、被告は右確認書と同じ日に原告に対し念書をもって、排気により外壁が汚れたときは被告の責任で外壁の吹付工事をすることを約束しており、この約束に基づき被告は昭和五七年三月末ころ、業者に依頼して外壁の吹付工事をしたことが認められる。

原告は、外壁の汚れのほかに、二階陸屋根部分及びパラペット部分が損傷し、これが雨漏りの原因になったとも主張し、前掲乙第五六号証(別件の原告本人尋問調書)にはこれに沿う部分があるが、これをもって右事実を認めるには足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

右の事実によれば、被告が本件ダクトの吹出口の変更工事をしたのは、近隣の苦情とこれを受けた区役所公害課の指導というやむをえない事情に基づくものであって、これにより当事者間の事前の予想の範囲を超えて原告に著しい不都合が生じたものとは認め難く、これらの点を総合して考えると、被告が特別の承諾を得ないで吹出口の変更工事をしたからといって、本件賃貸借の継続を困難とするような背信行為には当たらないというべきである。

4  官庁への虚偽申告

被告が、本件建物の水道工事の申請を訴外会社の代表者である妻の町井愛子名義でするよう業者に依頼したことは、被告の自認するところであり、前掲乙第四(第四三)、第七、第五六、第五八、第五九号証によれば、若林なる水道工事業者により記載され、東京都水道局長宛に提出された水道新設工事申込書兼工事施工承認申請書には、本件建物及び敷地の所有者を町井愛子と記載されていることが認められる。しかし、本件全証拠によっても、その記載が被告の指示ないし容認の下になされたものとは認められないから、原告の信頼関係破壊の主張はその前提を欠き、失当である。

5  不当提訴

被告が請求原因2(五)記載の内容の各訴訟を提起し、同記載の判決があったことは、当事者間に争いがない。

しかしながら、建物の賃借人が賃貸人を相手として訴えを提起し、敗訴に終わったからといって当然に不法行為を構成するものではなく、また当然に賃貸借契約における信頼関係を破壊するものではなく、これが認められるためには、当該提訴が目的その他において公序良俗に反するものであることを要すると解すべきところ、被告の前記訴訟の提起が公序良俗に反するものと認めるべき事情は、本件全証拠によっても認めることができない。むしろ、前掲乙第四(第四三)、第七、第五八、第五九号証、甲第二三、第三三号証と、成立に争いがない甲第三七号証、甲第三八号証の一によれば、本件賃貸借契約に当たり被告が原告に支払った金二〇〇万円は、原告において行う本件建物の工事費用に充てる趣旨で被告が原告に預けたものではなく、本件賃貸借契約のいわゆる礼金として被告に返還する必要のない金員として支払われたものではあるが、同時に、原告は被告に対しその領収証を出すことを拒み、その理由として、右金員は、原告が取得するものではなく本件建物の外装、補強等の工事費用に充てるものであるとして、被告の開店予定日に間に合わせる旨約束しながら、結局その工事は間に合わなかったことが認められる。そうすると、このような事実関係の下では、右金二〇〇万円の返還請求ができると解する余地もないわけではなく、現に、右金員の返還請求訴訟では、第一審と第二審とで異なる判断がなされているのである。したがって、右訴えの提起が公序良俗に反する不当提訴であるといえないことはもとより、これが本件賃貸借における信頼関係を破壊する行為であるということはできない。

なお、右訴訟事件のうち、工事代金の返還を求める部分について、原告主張のとおりの経過により被告において請求を放棄したとしても、そのことから直ちにその部分についての訴えの提起が不法行為に当たるとか、信頼関係の破壊に当たるとはいえない。

6  不当仮処分

被告が請求原因2(六)記載の内容の仮処分を申請したことは、当事者間に争いがない。

前掲乙第四(第四三)、第七、第五八、第五九号証、甲第二三号証、官署作成部分の成立には争いがなく、前掲乙第五八号証により原本の存在及びその余の成立が認められる乙第四九号証の一、前掲乙第五八号証により原本の存在及び昭和五四年七月ころの本件建物の写真と認められる乙第五四号証、並びに乙第四四、第四五号証(弁論の全趣旨によりその存在が認められ、その方式及び趣旨により公文書としての成立が認められる。)によれば、被告は、原告が本件建物の外壁に工事用の足場を組んだまま長期間放置し、営業の邪魔になったので、その除去を求めて仮処分申請に及んだものであり、その後原告が右足場を任意に撤去したので、申請を取り下げ、事件は終了したものと認められる。

右経緯に照らしても、右仮処分申請をもって不当提訴と認めるには足りず、他にこれを認めるべき証拠はないから、前記5と同様、被告に信頼関係を破壊する行為があったものとすることはできない。

7  不当応訴

原告が請求原因2(七)記載の内容の訴訟を提起したこと及びこれについて判決があり確定したことは、当事者間に争いがない。

前掲乙第七号証、原本の存在及びその成立に争いがない乙第四六号証及び弁論の全趣旨によれば、原告の提起した右訴訟は、先に被告が原告に対して起こした請求原因2(五)記載の寄託金返還請求訴訟についての第一審の仮執行宣言付判決に対し原告が控訴をした際に、強制執行停止決定を得るために供託した金八〇万円についての銀行金利相当額金五万四一二六円の賠償を求めたものであり、この訴訟において被告は第一、二審を通じて争ったが、東京高等裁判所は民訴法一九八条二項の規定に基づき無過失責任として請求を認容したものであることが明らかである(なお、前掲乙第四四、第四五号証によれば、これとは別に、原告が被告に対し不当提訴、不当仮処分による不法行為を理由とする損害賠償を求めた訴訟では、原告の請求は、棄却されている。)。被告が原告の請求を争った上敗訴したからといって、当然に右抗争が公序良俗に反し不当と非難される筋合のものでないことはいうまでもなく、前記5、6の被告の訴訟及び仮処分の提起の事実を考慮しても、なんら賃貸人たる原告に対する信頼関係破壊行為と認めることはできない。

三  以上のとおり、原告の昭和五五年一月二六日の本件賃貸借契約解除の主張は、すべて理由がない。

第二  予備的請求について

一  請求原因1のうち更新料支払約束の事実を除く事実、及び抗弁1、2の事実中被告がその主張どおり昭和五五年二月分以降の賃料及び更新料名目の金員を弁済供託した事実は、いずれも当事者間に争いがない。

そして、成立に争いがない甲第二二号証によれば、本件賃貸借契約においては、更新料に関し、「賃借人は第二条の賃貸借期間を更新しようとするときは賃貸人に対し新賃料二か月分相当の金員を支払って契約を更新することができるものとする。」(本件公正証書第一三条)との定めがあることが認められる。

しかし、前記主位的請求において判示したとおり、原告は、被告に対し昭和五五年二月分以降の賃料の受領を拒否する意向を明確に表明していたのであるから、被告のした賃料の弁済供託は有効である。また、本件賃貸借契約の更新時期に当たる昭和五七年四月ころには、原告と被告間で前認定のような訴訟を含む紛争が生じており、原告は本件賃貸借契約の解除を主張していたのであるから、更新料の受領を拒絶することは明らかであったというべきであるから、仮に、前記公正証書の定めにより被告に更新料の支払義務があるとしても、被告は、前記弁済供託により、その不履行の責めを免れたというべきである。被告の抗弁は理由がある。

二  そこで、原告の再抗弁について判断する。

被告がした弁済供託は、原告を債権者とし、被告を債務者とし、国(東京法務局供託官)を第三債務者とする供託金取戻請求権に対する債権差押及び転付命令に基づき、原告によりその一部が取り戻されていることは、当事者間に争いがない。

前掲甲第三八号証の一、いずれも成立に争いがない甲第一ないし第一九、第二四、第三二号証の各一、二、第二〇号証の一ないし三(第二八号証の一ないし三)、第二六号証の一ないし三、第二八、第二九(第四二)、第四一(第四六)、第四三、第四四、第四五、第四七(乙第七三号証と同じ。)、第四八、第五四号証及び弁論の全趣旨によれば、被告の前記供託金取戻請求権に対する原告の債権差押・転付命令に基づく強制執行は、昭和五九年から平成元年一月ころまでの間に行われたこと、その請求債権は、その大部分が本件公正証書に基づく契約解除後の賃料倍額相当の損害金(これは、まさに本件請求の対象でありながら、原告は、既にその一部を強制執行により取り立てているわけである。)及び賃料支払遅延による日歩七銭の割合による遅延損害金請求債権であるが、一部(昭和五五年五、六、八月分、昭和五六年三月ないし六月分の賃料供託金の一部等を対象とするもの)には、原告が本件建物賃貸借契約に関連する別事件で被告に対して得た勝訴判決の主文掲示の請求債権、被告に対する訴訟費用額確定決定に基づく請求債権、及びこれらの執行費用ないし執行準備費用請求債権に基づき、昭和五九年から昭和六一年にかけて執行したものがあること、その対象は、昭和五五年二月分から六月分、同年八月分から一二月分、昭和五六年一月分から六月分(その中、三月から六月分については、一部のみ。)、昭和五七年五月分、昭和五八年八月分から一二月分、昭和五九年一月分から四月分、昭和六〇年五月分、昭和六一年一一、一二月分、昭和六二年毎月分、昭和六三年一月から六月分の各本件建物の賃料、並びに昭和五七年四月、昭和六〇年四月、及び昭和六三年四月の各金四二万円の更新料名目の供託金に及んでおり、これらの供託金(昭和五六年三月から六月分の賃料については、その一部)は取戻しにより不存在の状態になっていることが認められる。したがって、これらの分については、被告のした弁済の効力は消滅し、被告に債務不履行があると一応言わざるを得ない。

もっとも、右のうち、金額において半分近くを占める三回の更新料名目の供託金、及び昭和五六年一、二月分、昭和五七年五月分、昭和五八年八月から一二月分、昭和五九年一月から四月分、昭和六〇年五月分、昭和六三年五、六月分の賃料供託金が取り戻されたのは、平成元年一月二四日付けの千葉地方裁判所松戸支部平成元年(ル)第一九号、(ヲ)第二〇号債権差押・転付命令に基づくものであることが前掲証拠(甲第四七号証等)から明らかであるから、原告のした昭和六三年一二月七日の解除の意思表示の時点では、被告に債務不履行はない。したがって、少なくとも更新料の不払を理由とする原告の解除は、その効力を生じない。

三  賃料不払に関する被告の再々抗弁について

1  再々抗弁1の被告主張の事件が係属したことは当事者間に争いがなく、右事実と前記第一、二(主位的請求関係)の認定事実を合わせれば、再々抗弁1のとおり、原告の被告及び訴外会社に対する本件建物の明渡訴訟は、原告の契約解除の主張が認められないとしていずれも原告敗訴の判決が確定していることが認められる。

2  再々抗弁2の事実は、当事者間に争いがない。

3  再々抗弁3の被告主張の事件が係属したことは、当事者間に争いがなく、右事実と前掲乙第四(第四三)、第五(第五二)、第七三(甲第四七)号証、原本の存在及びその成立に争いがない乙第六四号証、弁論の全趣旨によりその存在が認められ、その方式及び趣旨により公文書としての成立が認められる乙第六〇、第六一、第六八号証、成立に争いがない乙第六九ないし第七二号証並びに弁論の全趣旨によれば、被告が提起した右執行文付与に対する異議の訴、及び請求異議の訴について、概ね再々抗弁3のとおり、結局原告の昭和五五年一月二六日の契約解除を理由とする本件公正証書に基づく強制執行はこれを許さずとする判決が確定していること、右訴えの提起に伴い、被告は強制執行停止決定を得、一、二審の終局判決でその全部又は一部が認可されていること、さらに、原告が本件公正証書の執行力ある債務名義の正本に基づき本件供託金に対して昭和五五年一月二六日の契約解除後の一か月金四二万円の割合による使用損害金等を請求債権として得た別の債権差押・転付命令(原審・千葉地方裁判所松戸支部昭和六三年(ル)第二四号、(ヲ)第三六号、及び同庁同年(ル)第二九〇号、(ヲ)第三一六号)は、被告の執行抗告により東京高等裁判所において昭和六三年五月二六日(同年(ラ)第一〇七号―乙第六〇号証)及び同年一〇月二七日(同年(ラ)第六五九号―乙第七二号証)に取り消されていることが、それぞれ認められる。

4  右認定の事実及び主位的請求についての認定判断によれば、昭和五五年一月二六日の解除を理由とする本件公正証書に基づく強制執行は停止され、最終的にはそれを不許とする判決及び右解除を理由とする本件建物の明渡請求権がないとの判決が確定しているのであるから、原告が本件公正証書に基づいて本件供託金に対してした強制執行は、本来許されないものであったというべきである。そして、原告が本訴で予備的にした昭和六三年一二月七日の解除の意思表示の時点では、前記明渡訴訟は既に確定し、前記執行文付与に対する異議の訴、及び請求異議の訴についても、原告において上告中ではあったが、控訴審の判決が既になされており、その両判決を通じて見れば、原告としては本件賃貸借契約の解除を理由とする明渡請求ができず、また本件公正証書に基づく強制執行が停止されていることを十分知っていたものと認められる。したがって、右の既になされた強制執行の効力は別としても、原告がその許されないことを知りながら、かつまた、本訴で請求している賃料倍額の使用損害金を既に一部強制執行により取り立てながら、それによって供託金が不存在となったことをもって賃料の不払があるとし、それを理由に今更新たに本件賃貸借契約を解除するのは、解除権の濫用であり、許されないものと解するのが相当である。

もっとも、原告のした本件供託金に対する強制執行の請求債権の一部には、本件公正証書とは関係のない、別件の判決ないし訴訟費用額確定決定等に基づくものであることは、前認定のとおりであるが、その強制執行は、権利行使として違法とはいえないとしても、被告にこれらの債権の任意弁済を求めたり、被告の他の財産に対して強制執行するなど他にとり得る方法がなかったとも考えられないところ、本件全証拠によっても原告がそのような行動に出たことを認めることはできない。したがって、被告のした本件賃料供託金を取戻し、供託金不存在の状態をあえて作出しながら、これを理由として二年以上経過後に契約解除の挙に出ることは、やはり権利の濫用に当たるというべきである。被告の再々抗弁は理由がある。

第三  結論

以上の次第で、原告の主位的請求及び予備的請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

物件目録

所在    文京区小石川一丁目九番地一〇

家屋番号  一一番一〇の一

構造    木造アスファルト葺陸屋根店舗一棟

床面積   一階 四五・三七平方メートル

二階 四五・三七平方メートル

三階 二四・七五平方メートル

のうち、一階店舗部分

四五・三七平方メートル

(現況)

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